2018年07月29日

【34.2018/7/14 東京都 江戸川区 平井諏訪神社・神社・参拝・御朱印・ご利益】

【34.2018/7/14 東京都 江戸川区 平井諏訪神社・神社・参拝・御朱印・ご利益】



【御祭神】建御名方命


【相殿神】天照皇大神・経津主神・誉田別神・大国主神・武甕槌神


【公式サイト】-


【最寄駅】平井駅


東京都 江戸川区に鎮座 平井諏訪神社に参拝してきました。


平井駅から徒歩で5~10程度かかりました。


丁度、お祭りの準備をしている所でしたが、大通りより


一歩入った住宅街の中にあり落ちつた感じな所にあります。


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【ご由緒】


平井諏訪神社は、燈明寺の惠祐法印が


出身地である信州の諏訪大社から神霊を勧請して享保年間(1716-1735)創建


下平井村の鎮守社だったといいます。


明治5年村社に列格、昭和8年四所神社・稲荷神社を合祀したといいます。



祭神は建御名方命で、享保年間(1716-1735)


燈明寺の惠祐法印が、出身地である信州の諏訪大社から


神霊を勧請したのがはじまりと伝えられます。



境内中央の社殿は


昭和四十二年に命じ百年を記念して建てられ(四十四年完成)


その旧社殿が境内北隅に移築されています。


(江戸川区教育委員会掲示より)



諏訪神社(平井六丁目一七番三六号)


祭神は建御名方命で信濃国一ノ宮諏訪大社の分社である。


創建年月は明かでないが享保年間に燈明寺の恵祐法印が生国である


信州の諏訪大明神の神霊を当所に祀ったのが始めであるという。


その後天保十四年十一月本殿を改築したが


この建物にはすぐれた彫刻があり


現在は境内の北隅にある稲荷神社の社殿になっている。


明治五年村社に列し、下平井村の四所神社(春日明神)を合祀した。


壮麗な今の社殿は昭和四十四年八月に落成した。境内に富士塚があり


乃木希典揮毫の明治三十七八年戦役記念碑がある。


(「江戸川区史」より)



創立年月は不詳であるが


下平井村(現在の平井二・三・四・五・六丁目)の鎮守社として奉斎され


御本殿(現在の稲荷社)は天保十五年(一八四四)十一月再建されたものである。


明治当初まで、隣接の平井聖天が別当を相勤めた。


明治三十九年拝殿を新設し、昭和十一年境内全般低湿のため


氏子の浄財をもって境内を土盛、社殿の改修をなした。


昭和八年、四所神社・稲荷神社を当社へ合祀した。


(東京都神社名鑑より)



【社号碑】


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【鳥居】


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【参道】


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【御社殿】


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【狛犬】


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【御朱印】


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【案内板】


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【平井の富士塚】


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【参拝しおり】


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【MAP】


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【スキンケア】


















posted by WOODBELL at 13:46| 神奈川 ☁| Comment(0) | 神社参拝・御朱印 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月27日

【33.2018/7/14 東京都 墨田区 江島杉山神社(えじますぎやまじんじゃ)・神社・参拝・御祈祷・ご利益・御朱印】

【33.2018/7/14 東京都 墨田区 江島杉山神社(えじますぎやまじんじゃ)・神社・参拝・御祈祷・ご利益・御朱印】



【御祭神】市杵島比売命(弁財天)・杉山和一総検校




【最寄駅】両国駅・森下駅


東京都 墨田区に鎮座する 江島杉山神社に参拝してきました。


両国駅からは10分程度の場所りにあります。


さすが両国で


駅を降りると まじかに両国国技館あり


駅構内にも力士のポスターもたくさん貼られています。


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【ご由緒】


当社は神奈川県藤沢市江島神社の弁財天を奉斎し


またその弁財天を深く信仰した杉山和一を併せ祀る。


杉山和一(慶長十五年〈1610〉年~元禄七年〈1694〉年)は


三重県津市の武家の生まれで幼い頃失明し、身を立てるために鍼術を志す。


江戸の山瀬琢一に入門し修行に励む中、江島弁財天の岩屋にて七日七夜の参籠をした。


業が明けた日外に出ると大きな石に躓いてしまうが


何か手に刺さる物があり探ってみると


筒の様にくるまった枯葉(スダジイ)の中に一本の松葉が入っていた。



「いくら細い鍼でも管に入れて使えば盲人の私にも容易く打つ事が出来る」


こうして、現在鍼治療の主流である管鍼術が生まれた。


躓いた石は「福石」として、本社江島神社の境内に祀られている。


この後より深く鍼治を学ぶため京都の入江豊明の元へ入門する。


そして江戸で治療所を開くと、その噂は瞬く間に広がった。


同時に多くの弟子を輩出し、世界初の盲人教育の場、職業の確立を進めた。


寛文十(1670)年一月、和一は61歳にして検校の位を受けた。


その名声により五代将軍徳川綱吉の医師として務めるようになる。



元禄五(1692)年五月九日将軍より総検校に任ぜられる。


和一が八三歳の時、綱吉公の難病を治療した功により


「何か望みのものはないか」との問いに


「唯一つ、目が欲しゅうございます」と答え


ここ本所一ツ目に総録屋敷の領地を賜り


更に和一が高齢になっても月参りを欠かさなかった


江ノ島弁財天が敷地内に勧請されてた。



翌年には壮麗な社殿が建立、本所一ツ目弁天社と呼ばれ江戸名所となり


多くの信仰を集めた。


元禄七(1694)年五月十八日八四歳没。


明治四年、当道座組織が廃止され総録屋敷も没収されるが


当社は綱吉公が古跡並の扱いとしたため残され、社名も江島神社となる。



明治23年四月杉山和一霊牌所即明庵も再興し


境内に杉山神社を創祀、震災、戦災により二つの社殿とも焼失するが


戦後昭和27年合祀し、島江島杉山神社となる。


(境内の案内板より)



【西側の社号碑】


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【西側の鳥居】


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【参道】


両側に家屋が建った参道になっているが、江戸時代の頃より西側が表参道であった。


参道を進むと境内の前にちょっとした空き地がある。


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【南側の社号碑】


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【南側の鳥居】


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【二之鳥居】


参道が交差するあたりに二之鳥居。


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【御社殿】


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【狛犬】


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【御朱印】


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【弁財天像】


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【案内板】


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御祭神から福徳円満・芸能上達・学業成就の他、鍼灸按学術上達の御利益があるのが面白い。


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【MAP】


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posted by WOODBELL at 09:38| 神奈川 ☀| Comment(0) | 神社参拝・御朱印 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月26日

【32.2018/7/8 神奈川県 横浜市 西区 伊勢山皇大神宮(いせやまこうたいじんぐう)・神社・参拝・御祈祷・ご利益・御朱印】


【32.2018/7/8 神奈川県 横浜市 西区 伊勢山皇大神宮(いせやまこうたいじんぐう)・神社・参拝・御祈祷・ご利益・御朱印】




【御祭神】天照大御神



【公式サイト】http://www.iseyama.jp/



【最寄駅】桜木町駅・日ノ出町駅



神奈川県 横浜市 西区に鎮座する 伊勢山皇大神宮に参拝してきました。



桜木町駅から徒歩で15分程度かかります。



途中「紅葉坂」と呼ばれる多少 急な坂があり丁度 登りきった場所にあります。



この坂が苦手という方は



「紅葉橋」交差点を左斜めに入る道があります。



こちらが表参道に続きます。



こちらの方が 比較的 緩やかな坂と思います。


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【ご由緒】



『関東のお伊勢さま』と親しまれる当宮は



明治初年に国費を以て創建された神社であり



神奈川県の宗社、横浜の総鎮守とされています。



かつては、久良岐郡戸部村の丘陵に鎮座されていましたが



神社名、創建年代共に不明です。



明治維新後、神仏分離、国家神道の時代を迎え



当地横浜が国の貿易の要として開港されるに及び



人々の心を1つにし、外国との国柄の違いを胸に刻み



国家の鎮護を祈る事を目的に、明治3年4月14日



時の神奈川県副知事井関盛艮氏が太政官に対し建白書を送り



『伊勢山に皇祖の御社を勧請あれば、高麗の宮殿を創立し



国家の鎮護を祈り、人民をして、崇敬胆仰せしめん』との布告を戴き



社殿を始め、境内の整備が開始されました。



翌年4月15日、社殿並びに境内施設が竣工し正遷宮が執り行われ



横浜の町を挙げての初めてのお祭りは壮大華美を極めた様子でした。



また、この時、地名も野毛山から伊勢山へと変えられました。




明治5年の太陽暦採用に伴い例祭日は5月15日と改められ



戦前の御祭礼には市内官公庁を始め



会社、工場、学校に至るまで休日となり



まさに市民を挙げてお祝い申し上げたとの事です。



当初の氏子総代は大谷嘉兵衛・幸兵衛、茂木惣兵衛、箕田長二郎、近藤良薫氏など



日本の経済・政界に君臨された横浜の重鎮たる人々で



以後も横浜の名士の方々が総代に就任されています。



(公式HPより)




【社号碑】


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【一の鳥居】


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【二の鳥居】


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【注連柱】


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【御社殿】



境内は3900余坪



御社殿は神明檜造しんめいひのきづくりで



太古の掘立造の面影を残し



屋根の千木ちぎ[角のような形]と鰹木かつおぎが特徴です。



創建当時の社殿は関東大震災の災禍を蒙り、ことごとく倒壊し



現在の社殿は昭和3年に復旧建造されたものです。




表参道の二の鳥居は、昭和45年に御鎮座100年を記念して



横浜金沢の相川文五郎氏より寄贈されたもので総檜造



一の鳥居は昭和55年に御鎮座百拾年を記念して建て替えられました。



(公式HPより)


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【境内・ランドマークタワー】


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【杵築宮・子之大神・クスノキ】


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【ソメヨシノ】


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【御朱印】


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【紅葉橋交差点付近】


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【紅葉坂側 一の鳥居・石段】


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【紅葉坂側 二の鳥居】


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【紅葉坂側 手水舎】


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【参拝しおり】


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【紅葉坂交差点付近からのみなとみらい】


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【MAP】


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【開運】







【金運】












【スキンケア】















posted by WOODBELL at 10:17| 神奈川 ☁| Comment(0) | 神社参拝・御朱印 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月25日

【31.2018/7/8 神奈川県 横浜市 神奈川区 大綱金刀比羅神社(おおつなことひらじんじゃ)・神社・参拝・御祈祷・ご利益・御朱印】

【31.2018/7/8 神奈川県 横浜市 神奈川区 大綱金刀比羅神社(おおつなことひらじんじゃ)・神社・参拝・御祈祷・ご利益・御朱印】



【御祭神】大物主神・金山彦神・日本武尊・大山津見神


【公式サイト】http://www.yokohamakonpira.jp/


【最寄駅】神奈川駅・横浜駅・反町駅


神奈川県 横浜市 神奈川区に鎮座する 大綱金刀比羅神社に参拝してきました。


横浜駅から徒歩で10分程度かかりました。


最寄りの駅からですと数分程度でしょうか。


横浜駅周辺から少し離れているので落ち着きがあります。


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【ご由緒】


古来、飯綱大権現、金刀比羅大権現と称してきたが


明治44年両社を合祀し大綱金刀比羅神社と改称した。


創建1188年 寛永19年社殿造営 宝暦13年 紀伊国屋 灯篭奉納


他 筑前の国 阿波廻船問屋 灯篭奉納45


昔より神奈川湊には菱垣廻船、樽廻船、尾州廻船、北前廻船などの海運勢力により


弁財船等 多くの船が神奈川湊に出入りし


江戸と上方の物流拠点とし栄え、正に現在の横浜港の発展の基盤になった。



今でも横浜の金刀比羅(こんぴら)さんの御神徳を知る多くの船舶関係者を始め


農業、建築関係、医療関係者、民衆にいたるまで崇敬の捻


頗る厚く十六神の御神徳を頂ける神社であります。


(公式HPより)


【社号碑】


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【鳥居】


朱色の鳥居の横には「大綱大神・金刀比羅宮」と記された社号碑が建つ。


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【石段・参道・境内】


参道は石段が続く。


こうした高台に鎮座しているのはかつての様子と変わらない光景。


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参道途中の右手に手水舎があり、さらに石段を上る。


石段を上りきると正面には境内。


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【御社殿】


現在、社殿の役割を果たしているのは、石段を上った左手にある仮殿。


簡素な造りの社殿であるが、こちらは昭和六十年(1985)から


今も使われている仮殿。


かつては神楽殿だったと云い


社殿が倒壊した後にこうして仮殿として整備され、使用され続けている。


石段を上った先に社殿がなく、左手の奥まった場所に社殿(仮殿)があるのは


こうした事情によるもの。


そのため現在の境内の立地は中々変わった造りとなっている。


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【天狗の像】


飯綱権現、金刀比羅権現ともに


天狗との関わり合いが深いため、当地には天狗伝説が残る。


特に江戸時代には


顔の長さ四尺五寸巾参酌の鼻高々とした大天狗が祀られていた。


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【狛犬】


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【御朱印】


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【案内板】


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【宿場街を残す案内板】


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【MAP】


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【開運】







【金運】












【スキンケア】














posted by WOODBELL at 05:39| 神奈川 ☔| Comment(0) | 神社参拝・御朱印 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月23日

【30.2018/7/8 神奈川県 横浜市 港北区 師岡熊野神社・神社・参拝・御祈祷・ご利益・御朱印】

【30.2018/7/8 神奈川県 横浜市 港北区 師岡熊野神社・神社・参拝・御祈祷・ご利益・御朱印】



【御祭神】伊邪那美尊・事解之男命・速玉之男命


【公式サイト】http://www.kumanojinja.or.jp/


【最寄駅】大倉山駅



神奈川県 横浜市 港北区に鎮座する 師岡熊野神社に参拝してきました。


大倉山駅から徒歩で10分くらいでしょうか。


神奈川県港北区師岡町に鎮座する神社で


旧社格は県社の後に氏子の陳情により郷社。


「関東随一大霊験所」として古くから信仰を集める古社。


当地一帯の広い地域の総鎮守で、現在は横浜北部の総鎮守とされる。


正式社号は「熊野神社」であるが、地名より「師岡熊野神社」とされる事が多い。


近年ではサッカー神社としても知られている。


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【ご由緒】


この神社は聖武天皇神亀元甲子年(西暦724年)に全寿仙人によって開かれ


熊野山の中腹に鎮座し


和歌山県熊野三社(本宮・那智・速玉)の祭神と御一体である。


仁和元年七月には


光孝天皇の勅使六条中納言藤原有房卿が此地に下向され


「関東随一大霊験所熊埜宮」の勅額を賜わり、それ以来


宇多・醍醐・朱雀・村上天皇の勅願所として社僧十七坊が附せられた。



数多くの古神事の中に現在続行されて居る筒粥神事は


天暦三年より実に1060回余にもなる。


観応二年六月十七日、雷火のため社殿は消失したが


御神体・社宝は無事であり特に貞治三年の熊野山縁起は


現存して神社の故事を伝えている。



例えば、勅使着用の大口袴は大口の地名に残り


供奉者の足を洗った子安足洗川、顔を清めた西寺尾町字面滝


馬の鐙を納めた鐙宮(阿府神社)参向儀式の行われた式坂


更に「い」の池(指定地域史跡)、「の」の池


「ち」の池の故事等、枚挙にいとまがない。



室町期に北条早雲公、慶長四年徳川家康公、寛永十九年家光公


寛文五5年家綱公より御朱印地を戴いたのを始め


代々の将軍家の崇敬極めて篤く、神社への御朱印は幕末まで続けられた。



明治元年神仏分離の際、熊野神社と隣接の法華寺とに二分され


明治三年には県社に列格したが


氏子の陳情する所あって明治六年三十三ヶ村の郷社に列した。



その後、各所の整備造営工事を行ってきたが


平成十七年「平成の大修造」と称し、覆殿・翼殿をはじめとする


壮大な造営事業を実施。


更に平成二十六年「平成の大修造第二期」に着手し


手水舎新築、境内社整備参集殿改修等の事業を完遂し、面目を一新した。



当社は、関東地方における熊野信仰の根拠地として


また、横浜北部の総鎮守の宮として古代より現代に至るまで


広く篤い崇敬を受けている。


(参拝しおりより)



【社号碑】


社号碑には「関東随一大霊験所」の文字がきざまれています。


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【鳥居】


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【石段】


鳥居を潜るとやや急勾配な石段。


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【御社殿】


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【狛犬】


鳥居手前に一対の狛犬。


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子持ちの狛犬。


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【御朱印】


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【御神木】


「みくまの五木」と呼ばれる御神木があり その一木のアカガシ。


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【さざれ石】


境内の左手にはさざれ石。


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君が代にも登場するさざれ石が整備され置かれています。


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【いの池】


現在は「い」の池、「の」の池が現存しいるものの


惜しくも「ち」の池は、埋められてしまって大曽根第二公園となっている。


古くはこの三つの池を合わせて「いのちの池」と呼んでいた。


「い」の字の形をしており、雨乞神事もこの池で行われたとされる。


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【弁天社】


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【参拝しおり】


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【MAP】


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【開運】







【金運】












【スキンケア】















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